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YAMAP / ヤマップ
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山の辺の道 モンベル天理の写真

狭井神社。ここから、三輪山に登れるよ▲ この前に登ったから今日はスルー 大神神社に参拝した人はこの狭井神社も参拝するんだけどなんでだろう? 三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤いとある。 伊勢神宮の内宮を参ったあとに荒祭宮にいくようなもんなのかな

この写真を投稿したユーザー

波田須
ID: 1967199

はじめまして。波田須といいます。 普段は海で魚釣りばかりをしてますが、ときどき健康と気分転換のために山登りをしています。 山登りのきっかけは、大の歴史好き。史跡や古墳、山城、山岳寺院、神体山などを見て廻っているうちに、いつのまにかいろんな山に登って感動を頂いていました😀  一見、山は点として認識されることが多いが、実は人々の信仰と暮らしに密接に関わっており、面として空間を構成している。そこには、山に対する人々の崇拝や怖れ、恵み、祈り、希望、感謝などいろんな声がきこえてくる。 なんちゃって(笑) 多種多様に及ぶ登山好きの中に歴史登山好きみたいな文化系の人がいてもいいんじゃないかと勝手に思ってます。 ただ、歴史の専門家ではないので学術的な議論はできません😝 想像をふくらませることを楽しんでます。 三重県、滋賀県、奈良県を中心に日帰りでいける範囲でぼちぼち登っています。目標は、特になく、登りたいと思う山に登ってます 私のプライベートマウンテンは三重県の経ヶ峰、錫杖ヶ岳。小さい頃から何回も登ってる故郷の山です。 現在は仕事が忙しく、年間の登山数は極めて少ないです。また、デスクワークのため年間約300日くらいずっと動いてません😭 そのため登るたびに、運動不足を痛感(汗)。 さらに文化系で運動神経0(TOT) いっぱい休憩をとります(笑) いっぱい後ろから抜かれます(笑) でも、マイペース、マイペース😀 休暇も収入も少ないので、泊まりを伴う遠征登山は今は無理かな(日帰りで次の日の仕事に影響がでない範囲だね)😭 そんな劣等生でも、山は私に素敵なものをいっぱいくれるから大好き😀 ただ、山好きなのに、高所恐怖症(汗)😵 安全一択で、こわいとこ、ゾッとするとこには行きません。 たとえ絶世の美女に誘われてもいきません😝 石橋を何度も叩いて登ってますよ。 登山は20年前くらいから、ぼちぼちしてましたが、2021年10月からYAMAPはじめました。山登り歴は長いけど専門的なことはあまりわかってないので登山はまだまだ素人です。 有名な言葉 「登りは体力、下りは技術」 今はこれを身につけるため奮闘中 熊野古道伊勢路(伊勢〜新宮間170キロ?)を2018年頃に1人寂しく完全踏破。 今は、鈴鹿セブンをぼちぼちいってます。

この写真を含む活動日記

写真87
もらったドーモ19
06:59
13.2 km
335 m

山の辺の道 モンベル天理

三輪山・巻向山・龍王山(奈良)

2024.09.16 (月)日帰り

波田須
波田須

こんばんは 波田須です。 奈良県の山の辺の道を歩いてきました。 (桜井市の仏教伝来の地から天理市の石上神宮まで) まだ、天気予報では最高気温32℃🥵 暑くて暑くて、何回、心が折れたことか、 暑さと脱水と疲労で気絶しそうでした。🥵 山の辺の道は10月に入って涼しくなってからにしましょう。 さて、山の辺の道 最古の道、石上神宮、大神神社、三輪山、龍王山、大型古墳など見どころいっぱい。😄 その中で、知られざる山の辺の道の魅力を楽しむ。 私の実力ではすべてを語り切れないので、今回は下記の3点に絞り、簡潔に、山の辺の道の歴史を楽しんでみた。 【仏教伝来の地】【河川の国際港】【元伊勢】の3つである。 【仏教伝来の地】 山の辺の道の最南端に仏教伝来の地がある。 まずはここを訪れることから始めたかった。理由は、我が国の仏教はここから始まったから。 遥かインドでおこった仏教がシルクロード東端の日本へ来た。 それは、奈良県桜井市という小さな空間に一滴の水を垂らすようにもたらされた。 それがその後、日本中に波及し我が国の文化の基層を形成していったからだ。 『日本書紀』によれば、欽明天皇13年(552年)に百済の聖明王は使節に釈迦仏の金銅の像一体などを欽明天皇にたてまつったとある。公伝の年代は諸説があり、まだ決着をみないが、6世紀中頃、欽明天皇の時代に「公式」に仏教が伝わったとすることは研究者の多くが認めている。 その欽明天皇の宮が磯城嶋金刺宮である。桜井市慈恩寺の小字 に「式嶋」という地名があり、磯城嶋金刺宮はこの付近と考えられている。 仏教伝来の碑、今はひっそりとたっているが、我が国の仏教の着地点😄はるばるインドから、旅をし、仏教文化のスケールのデカさに感動しちまった。 【河川の国際港】 山の辺の道のほぼ最南端。海石(留)市(つばいち)という古代の市があった。また付け加えるならば、この地は大阪の難波津から大和川を遡上した水運の終着駅で、さらに縦横に古代の主要陸路が交差する交通の要所であり、明日香への玄関口でもあった。 遣隋使で帰国した小野妹子をはじめ隋国の使者も大和川を遡上しこの地で上陸し、つば市で挨拶を受けたとある。 おそらく、仏教も朝鮮半島から海を渡り大阪の難波津から大和川を遡上しやってきたのだろうと、先の仏教伝来の碑とともに現地に立ち、その風景を想像して楽しんだ。 小さな空間であるが、歴史上、極めて重要な出来事がつまった地域だ。盆地ではあるが、一つ山を越えた西方には国際港の難波津、 東方には、東国への向かう拠点である伊勢がある。そういった交通の要所を押さえた土地だと訪れて改めて感じことができた。😄 【元伊勢】 「神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜(うま)し国なり。この国に居らんと欲す」 上記のように天照大神は、旅の終りに、伊勢に鎮座する意思を斎王である倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に伝えました。 ★倭姫命★ 第11代の垂仁天皇の御世、皇女である倭姫命は天照大神にふさわしい土地を求めて各地を巡り(倭姫命巡幸)、天照大神の託宣を受けて伊勢国に祠を立てました。それが伊勢神宮の創祀と言われています。 さてさて、本題へ ★元伊勢★ 伊勢の地に鎮座するまでに天照大神の御神体である八咫鏡(やたのかがみ)が祀られた処を「元伊勢」といいます。 倭姫命巡幸は、大和を出発し伊賀、近江、美濃の順に各地を巡り、ようやく伊勢の地に入りました。巡行は30年にわたるものですから、道すがら、天照大神を一時的に祀った処(元伊勢)はたくさんあります。 「元伊勢」は、結果論として通過地点ですが、その中には、天照大神が鎮座する有力な候補地もあったのではと考えられます。 ★二神並祭★ 天照大神は、第十代の崇神天皇の御世まで、土地の神である倭大国魂神とともに皇居内(磯城瑞籬宮―奈良県桜井市巻向遺跡か)で祀られていました。 天皇が「同床共殿」の形で祀っていたのです。 が、しかし、 二神並祭で、神の勢いによる国難を畏れ、安らぎません… 偉大な神が二神もいたらたいへんですね~ 😄 なので… 天照大神は皇女の豊鋤入姫命に、倭大国魂神は渟名城入姫命に託されます。 天照大神は倭(やまと)の笠縫邑に遷され祀られることになりました。 倭大国魂神は、祀り直しの経緯は不明なことが多いですが大和神社に祀られています。 ★笠縫邑(桧原神社)★ 豊鍬入姫命(倭姫命の前の斎王)が奉斎することになり、天照大神は倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいむら)に祀られました。 その場所は、三輪山にある桧原神社(奈良県桜井市)とする説が有力です。 笠縫邑に祀りよって「磯堅城の神籬(ひもろぎ)」(神の降臨する場所)を立てると「日本書紀」にあります。 山の辺の道の纏向遺跡あたりに皇居があり、まずは、背後の笠縫邑(桧原神社)に天照大神は祀られたんですね。そこから、倭姫命といっしょに旅にでた😄伊勢神社成立のもっとももとになる話しで興味深いですね。 以上、山の辺の道は行けば行くほど楽しい。 歴史好きにはたまらない道だ😄 山の辺の道沿いにある 三輪山 https://yamap.com/activities/32483486 龍王山 https://yamap.com/activities/27161841 もオススメですよ。